2008年7月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
ブログ:ココログ

« 2006年10月 | トップページ | 2006年12月 »

2006年11月30日 (木)

食べ物なんでも相談室 11

Q:納豆はネバネバ、ねばるほど健康によいと聞きましたが本当ですか?(O.K.06,7,4)

A:よくかき混ぜてネバネバがでたほうが美味しいと思いませんか。栄養的には変りません。調味料を先に加えるとネバネバが出ませんから念のため。このネバネバはポリグルタミン酸です。付け加えますと、このネバネバ(根コンブ、オクラ、ジュンサイ、山芋のネバネバも同じ)は酢で分解します。食事の後の食器を洗う時に一寸酢を使うとキレイになります。

食べ物なんでも相談室 10

2006年11月29日 (水)

食べ物なんでも相談室 10

Q:オロナミンCとファイブミニ とどちらが健康に効きますか?(O.N.06,7,4,)

A:どちらも大塚製薬グループの健康飲料です。オロナミンCはビタミンCが多量(250mgに入っています。一方ファイブミニには、水溶性の食物繊維が入っていて、それぞれ健康維持には大切なものです。どちらが効くか、ということではなく、どちらも必要なものです。但し普通の食品からも十分摂取できますから、バランスのとれた食事をすることを心がけましょう。ここで、ビタミンCと食物繊維について補足します。ビタミンCは人間の場合生体内では合成出できません。(多くの動物は生体内で合成できる)。ノーベル賞学者ポーリン先生など1日に10g飲めとすすめたと聞きますが、日本の栄養学者は1日1gと言っていました。錠剤でも売っていますが、薬局でアスコルビン酸と言って粉末で買うと経済的です。効き目は変りません。もう1つの、食物繊維が成人病に大変必要だと言われたのは比較的最近(1970)のことです。食物繊維は一般には、不溶性のセルロース、ヘミセルロース、ペクチン、リグニンなどが知られていますが、水に溶けるペクチン、海藻多糖類、植物質ガム類などネバネバした水溶性のものもあります。大事な栄養素ですから、食べ物から摂取することをお勧めします。

2006年11月28日 (火)

食べ物なんでも相談室 9

Q:以前まちがえて紅茶にミルクとレモンを両方入れてしまった時に、白いブツブツが浮かんできました。これは、何ですか?(G.A.06,4,25)

A:白いブツブツはミルクの蛋白質です。レモンにより紅茶のPHが下がり等電点(Isoerectric Poinnt)に達してミルク蛋白が凝集したものです。 等電点=蛋白質などの両性電解質の水溶液中で、分子の正負の電荷の和がゼロなる時のPH

2006年11月27日 (月)

食べ物なんでも相談室 8

Q:たらの芽はどうやって育つのですか?

A:たらの芽はたらの木(ウコギ科タラノキ属)に生える芽です。タラの木は日本中どこの山地にも生える落葉低木でクキに鋭いトゲがあるのが特徴です。山菜の王様といわれ需要が多く、この頃は根挿しj法が開発され増殖も行われています。てんぷら、おひたしなどにして食べます。糖尿病に効くといわれます。

2006年11月26日 (日)

食べ物なんでも相談室 7

Q:京野菜ってそんなにいいものなのですか?普通の野菜とどこが違うのですか?(H.K.06,5,9)

A:平安の昔から文化の中心であった京都には、今日まで育てられてきた独自の野菜があります。1987年に「京の伝統野菜34種」を選定しております。成分的には、ビタミン、ミネラル、食物繊維など一般の標準より多いと言われます。代表的なものとしては、聖護院大根、九条ねぎ、賀茂なす、鹿ヶ谷かぼちゃ、すぐき、堀川ごぼうなどがあります。

2006年11月25日 (土)

食べ物なんでも相談室 6

Q:和菓子で和三盆を使ったのが美味しいと聞きましたが普通の砂糖と違うのでしょうか?(I.N.06,5,9)

A:現在でも四国地方で作られている高級な砂糖です。結晶が小さくフワフワした感じで上品な味がします。甘蔗の汁を麻袋に詰めて圧搾する操作を何回も繰り返します。高級な和菓子に使われ、その味はお抹茶に会うと言います。価格は普通の砂糖の10倍くらいします。

食べ物なんでも相談室 5

2006年11月24日 (金)

食べ物なんでも相談室 5

Q:味噌には赤味噌と白味噌がありますが、どう違うのですか?(A.Y.06,5,16)

A:一つには原料の違いがあります。赤味噌は大豆が多くてお米が少ない。白味噌は逆にお米が多くて大豆が少ない。もう一つ熟成の期間です。赤味噌は長く、白味噌は短い。その他製法にも違いがあります。例外もあります。「江戸甘」と言われる東京の江戸味噌は米が多いが色は赤いのが特徴です。食品の持つ機能性としては、赤味噌の方が色々の成分が多く含まれています。

2006年11月23日 (木)

食べ物なんでも相談室 4

Q:渋柿は何故しぶいのですか?(S.T 06.5.16)

A:暖かい所の甘柿も寒いところに植え替えると渋柿になるものもあると聞きます。しぶいという味の成分(タンニンがアセトアルデヒドと反応して出来る物質)が舌の粘膜を収斂させて感ずるものです。この渋みを取るのには、アルコールを使うか、40-50度のお湯を使って”湯ごもり”する方法があります。     

2006年11月22日 (水)

ヒマラヤの旅22 あとがき

Imgp0816 Imgp0841 今回の旅を通して感じたことですが、途中多くの旅行者に会いました。ネパールの観光客はヨーロッパの人が多いそうですが、日本人もかなり来てます。日本人は概してお年寄りのご夫妻が多いのですが、その他の国の人々は若い男女が圧倒的に多いのです。日本人の高齢者はわかる。定年を迎えた山好きのご夫婦がヒマラヤの山々を見に来ているのです。ところで同行の方に教えられた本があります。「還暦のエベレスト」宮原巍著と「夢をあきらめない チームホンだエベレスト登山日誌」チームホンだ編著 の2冊です。前者はご存知ホテルエベレストビュウの創立者の宮原さんが書いたもの、後者は現地で案内してくださった、辰野さん達が書いたものです。日本に帰ってこの2冊を手に入れて感動して読みました。山に興味がある方には是非お勧めする名著です。本を読んだ感想は、「ロマンチストとは、生きることの密度を真剣に考える人だ」と思いました。最後になりますがご一緒に旅行をしてくださいました方々に心からお礼と感謝を申し上げます。有難うございました。

写真 ホテルへの道 前方がエベレスト もう1枚 クンデ村から見たアマ・ダブラム

2006年11月21日 (火)

ヒマラヤの旅21 帰国

Imgp0891 Imgp0869 カトマンズの飛行場は、案内人を入れません。送ってきてくれた辰野さん、ラジェンドラさんは柵の外で心配そうに見ております。出発まで3時間、出国検査の列は遅々として進みません。来る時は6時間も遅れたロイヤルネパール航空も今日は順調のようです。手続きを終えてやっと搭乗口に辿り着きました。ネパールルピーは日本円との交換が難しいからここで残らず最後の買い物です。親切な店員がガム 飴玉 などを出してくれて、ここで細かいお金が処分できました。やっと機上の人です.RA411は23:30に離陸、上海で乗客の一部が降りて機内の清掃で1時間ほどかかりましたが、7時間のフライトを終えて関西空港に10:30に着きました。関空から羽田の便は延着を見込んで5時間も余裕があるので、予定の飛行機より早い便を探し、伊丹空港から羽田に帰りました。ヒマラヤの旅は終わりました。   ヒマラヤ観光開発の皆さん 社長さんの宮原さん、現地の辰野さん、ラジェンドラさん、ポーターのチェンリーさん他沢山の方々ありがとうございました。

写真 朝日にほんのりと染まったアンナプルナ  キャンプ地より もう1枚はカトマンズよりポカラに向かう機上より 中部ヒマラヤの山々

小さい写真をクリックすると拡大して見えます

2006年11月20日 (月)

ヒマラヤの旅20 最後の日

Imgp0918 Imgp0923 ポカラからカトマンズに昼頃帰りました。案内のラジェンドラさん(流暢な日本語で行き届いた案内をしてくれました)からお昼は何か食べたいものがありますか?と言われて「日本酒が飲みたい」とおねだりしたところ、蕎麦やに案内してくれました。「ネパール蕎麦」です。これがハンパじゃあない。てんぷら蕎麦にそばがき、そばだんご、そばずし と見事な蕎麦会席が出てきたのには驚きました。その味がまたすばらしい。ネパールは蕎麦の産地です。職人は信州で修行をしてきた人。酒は大関で小生は大満足。このあと急ぎ足で市内見物です。立派なお寺、由緒ある仏塔(チョルテン)には沢山の旗(タルチョ)がなびいています。日本のアメ横と秋葉原の雑踏する小路をごちゃ混ぜにしたような人通りの多いところを抜けて、お土産やさんに立ち寄り5時ごろホテルヒマラヤに戻りました。早速荷物の整理、夕食を済ませて帰国に備えます。

写真 蕎麦やの前からカトマンズの町  もう一枚 市内見学  チョルテンとタルチョ

小さい写真をクリックすると大きくなります

2006年11月19日 (日)

ヒマラヤの旅19 ロッジ

Imgp0905 Imgp0910 昨日イカダ(7m四方くらいでドラム缶の上に板を敷いたようなもの)でロッジに入りましたが、ここは日本の皇太子も泊まったという由緒あるもので、風情がありました。10月31日7日目の朝をむかえす。昨日の下り坂は私の両足のふくらはぎ、両膝に筋肉痛という思い出をしっかり刻み込んでくれました。朝の湖畔を散歩すると、一時顔を見せていたアンナプルナも間もなく霞んで見えなくなりました。今日はこれから飛行機でカトマンズに戻り、夜には日本に向けて帰る日です。この6日間の快晴を感謝します。

写真 イカダに乗って川を渡り ロッジ に入ります。 次は朝の写真  湖に写るアンナプルナ

2006年11月18日 (土)

ヒマラヤの旅18 下り坂

Imgp0899 Imgp0904 この下り坂が私にとっては今度の旅行中一番のハードな体験でした。普通の石を組んだ下り坂が延々と続きます。これは登山道ではなく生活道ですから周りは段々の畑です。全山が棚田になっていて、所々に農家があり子供がいます。眼が会うと「ナマステ=こんにちは」と声を掛けてくれます。危ない組石のところ、滑りやすいところは、ポーターが手を貸してくれます。3時間半かかって下りてフェディーに着きます。ポーター達はここを30分で下りるというから驚きです。昼食のラーメンでやっと一息つき、車で40分、今日の宿舎ポカラのFish Tail Lodgに到着しました。このロッジに入るには川幅50mくらいをイカダでわたります。

写真 名峰マチャプチャレ 現地語で魚の尾のこと。頂上が二つに割れていて魚の尻尾に似ていることからこの名がついた。

2006年11月17日 (金)

ヒマラヤの旅17 キャンプ地の朝

Imgp0894 Imgp0896 10月30日 6日目の朝 久々のシュラフザックの夜が明けました。足元には湯たんぽが用意されていて快適に眠れました。夜中にトイレ(背の高い犬小屋風のテントの中に穴が掘ってある)に起きたときには、満天の星が輝き今日の快晴が約束されていました。6時ころ陽が登るにつれて、左からアンナプルナ南峰、ヒウンチェリ、マチャプチャレ、少し離れてマナスルが見えます。中でもマチャプチャレ(魚の尾を意味する)はポカラの町の象徴的な山で、スイスのマッターホルンを思わせる美しい山です。6:30 ポーター達が各テントにモーニングティーをもってきてくれます。続けて暖かいお湯の入った洗面器、顔を洗ってサッパリしたところで朝食です。ハムとスクランブルエッグ ホットケーキ トースト など なかなかの食事です。8時出発 標高2200mから1200mまで一気に1000mを下ります。

写真 後ろの山がアンナプルナ南峰  もう一枚 中央に見えるのがマチャプチャレこの右にマナスルがある。

2006年11月16日 (木)

ヒマラヤの旅16 キャンプ

Imgp0874 Imgp0879急な坂道を登ること3時間半 頂上の平地オーストラリアンキャンプ地(昔オーストラリアの登山隊がよくこの地を利用したとのこと)に到着しました。 Imgp0877 約千mは登ったと思います。同行のポーター達が早速8張りのテントを張ります。写真の奥に小さい紫色のテントがありますがこれはトイレです。私は手前から4つ目のテントです。ポーター達は炊事用具も運んできますから食事の支度です。驚いたことに、たった一夜のテント住人数人のために下からお土産を運びあげて早速店開きです。私も釣られて 3割 5割 と値引きしながら2,3点買いました。夜は近くの女性(若いか年寄りか暗くて分からない)が数人きてカンテラの明かりのなかで遅くまで一緒に踊りました。

写真左 上り坂 これは登山道ではなく、生活道 です。 中 テントは、 なかなかの寝心地でした。 右は、お土産売りのオバサン と私、合計千ルピーほど買いました

2006年11月15日 (水)

ヒマラヤの旅15 ポカラ1

Imgp0870 Imgp0872 10月29日 5日目 朝カトマンズ空港の国内線の雑踏する出発ロビーに行きます。小型機への搭乗を促す空港係員が声をからしてお客を呼んでおります。電光掲示板、スピーカーでもつけたらいいのに、と余計な心配をしました。それにしても荷物検査 ボディチェック を何度やったら気が済むのかと、いささか呆れながらポカラ行きの飛行機に乗りました。今日も快晴です。ヒマラヤ中央部の名峰が見えます。マナスル(8156m初登頂は1956日本隊)、マチャプチャレ(6993m信仰の対象の山として登頂者なし)さらにその先にアンナプルナ群(主峰8091m初登頂は1950フランスのモーリス・エルゾーク)などです。間もなく飛行機は高度をさげてポカラの空港に到着です。この町は標高800mでカトマンズより低いためか、暖かく感じました。フェワ湖のほとりにあり、8000m級の山に囲まれたネパール随一の景勝地です。空港からはすぐに今日の宿泊地オーストラリアンキャンプ地に車を走らせました。

写真空港から見えるマチャプチャレ ともう1枚はキャンプ地に向かって坂道を歩き始める

2006年11月14日 (火)

ヒマラヤの旅14 ネパール料理

Imgp0863_1 Imgp0864_1 山から下りてカトマンズのホテルヒマラヤにもどりました。このホテルのオーナーでありホテルエベレストビュウの創立者である宮原巍さんとお会いしました。共通の友人である三浦雄一郎さん、佐伯富男さんなどの山の話のあとは夕食です。この日はネパール料理で有名なボジャングリハBhojan Griha(180年前に建てられたラナ家の宮殿を改装してレストランにしたもの)に行きました。豆を多く使った料理でしたが豪華で美味、それに民族舞踊も加わって盛り上がりました。久しぶりの酒(米を原料として醸造したものを蒸留したものでアルコール40% ロキシーという)にいい気持ちになりました。酒は飲み放題で一人前15ドルくらいだそうです。

写真 左側が宮原さん もう1枚の写真 高いところからテーブルの小さい盃に酒を注ぐ妙技を見せてくれました

ヒマラヤの

2006年11月13日 (月)

ヒマラヤの旅13 下山

Imgp0859 Imgp0861 10月28日 4日目の朝は快晴、朝の日差しを浴びて次第に姿を見せてくれる周辺の山々に見とれます。6:30からの朝食を済ませて下山開始。それにしてもここの料理はうまい。昨日の晩の日本食、ご飯と味噌汁が美味しい。高所では美味しいご飯が炊けないが、ここは圧力釜を使っているらしい。味付けもいいからきっと優れたコックがいるに違いない。雲ひとつ無い中を7:30にはシャンボチェの空港に着いてヘリコプターを待つ。ここから4人一組でルクラ空港に戻り、そこから17人乗りの小型機に乗り換えてカトマンズに向かいます。しこたま着込んでいたものが平地に近づくとにわかに厚苦しくなります。それにしても、エベレスト ビュウ ホテルに居る2日間は一滴の酒もの飲みませんでした。案内人の辰野さん(かなりの酒豪?)の話で「この私でさえ高い山では飲みません。1度、たった缶ビール2本飲んで目が見えなくなりました。皆さんお酒は飲まないで下さい」と言う注意を守って無事カトマンヅに到着しました。辰野さんに感謝!

写真は辰野さんと、背景はクワンデ もう1枚の写真はルクラ空港、山はクスム・カングル6367m?

2006年11月12日 (日)

ヒマラヤの旅12 トレッキング2

Imgp0845_1 Imgp0850 Imgp0858 クンデの病院から1kほどでクムジュンの村に入ります。ここにはエベレストの最初の登頂者ヒラリー卿の建てたクムジュン ハイスクールがありました。校庭には胸像がありました。校庭の子供達の明るい顔と澄んだ眼が印象的でした。ここで昼食のおにぎり。ここから私は馬に乗りました。特に疲れたわけではありません。これも思い出の一つ。ひどい急坂を登り何度か振り落ちそうになりながらホテルに戻りました。乗馬賃は1kで1000ルピー(やく1700円)でした。歩きは正味5時間、楽しい山歩きでした。

写真は クンデ ホスピタル   ヒラリー卿の銅像  馬上から写したエベレスト、手前がローツェその奥に一寸三角に顔をのぞかしているのがエベレスト

2006年11月11日 (土)

ヒマラヤの旅11 トレッキング1

Imgp0833 Imgp0836 10月27日旅の3日目の朝です。見事に晴れ上がって雲ひとつない中を8時に出発しました。足の強い人、弱い人に分けてホテルの周辺を4,5、時間歩く計画です。昼食用のおにぎりも、持ちました。昨日ヘリコプターで降りたシャンボチェ飛行場の近くまで行って、強い足組と弱い足組に分かれました。強い人はこれから登ってクンデピークに向かい弱い人はクンデの村からクムジュンに行きます。私は後者を選びました。間もなく村に入りました。4千m近いこの高所にも畑がありジャガイモ、ひえ、むぎ、とうもろこし が栽培され牧畜が盛んです。交通機関は歩くだけ、車もバスも自転車さえありません。病院がありました。ここで一休み。歩くスピードは遅く、1kを1時間以上かけていました。

写真1 出発  2 クンデの村が見えてきました

2006年11月10日 (金)

ヒマラヤの旅10 ホテルにて3

Imgp0846 第3日目ヒマラヤの夜があけました。昨日の午後から雲が出て夕方にはガスがかかり、小雪もちらつきましたが、今朝は雲ひとつない快晴です。ホテルの展望室には5:30頃から人が集まり朝焼けに輝くやまなみを期待します。よくぞここまで来たもんだと思いました。寒さは厳しく、室内の湿気が窓に凍り付いていました。朝食は、ジュース、トースト、サラダ、ハムエッグなどなどそれにコーヒー、紅茶、ミルク がつきます。8時にはトレッキングに出発です。

写真は朝のタムセルク(6623mタウチェ、カンテガ、タムセルクの一つ。初登頂1964ヒラリー隊)

2006年11月 9日 (木)

ヒマラヤの旅9 ホテルにて2

Imgp0832 Imgp0791 ホテルの人は親切でした。到着から出発まで何回も何回も私達の右の人差し指に簡単な測定器を取り付けて血中酸素濃度と脈拍を測ります。血中の酸素濃度が70%以下に下がってくると(正常は90%以上)備え付けの酸素ボンベで酸素の補充をしてくれます(1時間25ドルくらい)。又は旅行者持参の酸素発生器(フォレストという商品名でヒマラヤ観光開発社で扱っています)の使用を薦めます。同行者の中には2,3人この酸素ボンベのお世話になった人もいましたが、私は持参のフォレストで酸素を吸っていました.。おかげさまで高山病にかかった人はいませんでした。

写真 窓から見える夜明けのエベレスト もう1枚は、読者のご要望で「ヒマラヤの旅5」の美人のスチュアーデス

2006年11月 8日 (水)

ヒマラヤの旅8 ホテルにて1

Imgp0825 Imgp0831 到着した時はお昼を少しまわっていました。部屋に入って窓から眺めると真正面にローツェ その左にエベレストが頂上を覗かせています。右側にある全山雪をかぶったキッカイな形の山はアマダ・ブラム 更に右に目を転ずるとタムセルクの山塊が見られます。私の部屋は6号でした。石と木材を配した15畳ほどの部屋でバス シャワー(但し使えない)とトイレがついた立派な部屋でここが標高3880mとは思えない。都会のビジネスホテルより数等上でした。間もなく雲がかかりガスがまいてきて、雪がちらついてきました。ヒマラヤ地方特有の気候です。夜になって気がついたことですが、外気はマイナス 室温は5度から10度くらい、暖房は小さいヒーターが淋しげに廻っているだけ、TVはないラジオもない、早めの夕食の後は薄暗い電灯の中ですることがない。幸いなことに陽が落ちるとガスが消えたようです。暗いベランダに出ました。時折星が流れる満天の夜空を仰いで感激にむせび泣く予定でしたが涙は出ませんでした。寒さに震えながらベットにもどると、湯たんぽ が入っていました。暖かい心遣いに涙しながら眠りに入りました。

写真は部屋の窓からみた山と もう1枚はホテルの裏側の山 クワンデ

2006年11月 7日 (火)

ヒマラヤの旅7 ホテルエベレストビュウへ3

Imgp0819 Imgp0820 感動の一瞬でした。正面にローツェ(世界第4位の高峰。ローツェとはチベット語で南峰の意、ローは南、ツェは峰でエベレストの南峰。8511m)その左に頭が僅かに見えるのがエベレスト(チベット名ではチョモルンマ、ネパール名ではサガルマータ、8848m 1953年初登頂E・ヒラリー、テンジン、ノルケイ)です。その右に突出した岩はアマ・ダラム6812m、更に右にノコギリ状のタムセルク6623mとヒマラヤの山々に囲まれて一休みしました。ここから歩いて15分、入り口には広い石段がありそれを登るとホテルに到着です。林に囲まれた平屋のホテルは思ったより大きかったが、周りの景観に溶け込んで控えめなたたずまいでした。部屋は12室すべての部屋からエベレストが見えます。

写真はホテルに向かう一行 背景はヌプラ もう1枚はホテル前の石段

2006年11月 6日 (月)

ヒマラヤの旅6 ホテルエベレストびゅうへ2

Imgp0806 Imgp0808 ルクラの空港から4人乗りのヘリに乗ってシャンボチェに向かいます.乗ること5分、目の前に素晴らしい山塊が現れます。エベレストが見えてきました。間もなく山あいの空き地にヘリが降ります。ルクラから一気に高度が1000m上がりました。普通エベレスト(8846)やカラパタール(5545)などこの近くの山に登る人は高度順応を兼ねて2日かけてここまで歩きます。私達はそこを10分で来てしまいました。シャンボチェの空港と言っても山の中の広い空き地ですが、ここで高度に馴れるため1時間ほど休憩をとります。それからホテルに向かいます。1kmの距離と高度差で100mのところをゆっくりゆっくり、1時間以上かけて歩きました。高山病にかからないためには、いそがないこと、頑張らないこと、無理をしないこと、それに水を飲むこと、時々大きく深呼吸をすること だそうです。おかげさまで誰も異常を訴える人はいませんでした。40分も歩くと突然エベレストが見えてきました。

写真はヘリから見えてきたエベレストとローツェ(8516) もう1枚は シャンボチェ空港で見たタムセルク(6623)

2006年11月 5日 (日)

ヒマラヤの旅5 ホテルエベレストビュウへ1

Imgp0790 Imgp0799 今回の私の旅は、雄大なヒマラヤの山々をこの眼で見ることが目的です。そのためには、雨や霧は禁物です。天候に恵まれなくて山が姿を見せない時はツキがなかった、ウンが悪かったとあきらめるより仕方がありません。ネパールは10月から乾期にはいります。この日10月26日は朝から快晴でした。6:30モーニングコール、朝食は弁当、7時に出発して8:05に17人乗りの軽飛行機は飛び立ちました。公園のベンチのような御粗末な腰掛でしたが美人のスチュアーデスが人の間を縫うようにして飴を配ってくれました。窓から見ると山また山ですが、どの山も段々畑が山の上まで続き民家が点在しています。全山棚田です。40分ほどでルクラの飛行場が見えてきます。山の谷あいにある滑走路は狭く短くしかもかなりの勾配があります。この小さい飛行場で、10分おきくらいに小型機が発着陸し、5分おきにはヘリコプターが飛び立つのです。私達もここでヘリコプターに乗り換えて次のシャンボチェの空港に向かいました。ここ、ルクラは,すべてのエベレスト登山隊の基地になります。目の前には素晴らしい山がそびえていました。

写真は 小型飛行機とルクラ飛行場の滑走路です

2006年11月 4日 (土)

ヒマラヤの旅4 カトマンズへ

Imgp0815 10月25日羽田発の全日空は予定どうり7:30に発って、関西空港に8:45に到着しました。ここで同行11人が揃いましたが、この頃は個人情報保護法によりお互いの紹介はありません。ここで問題が発生、11:50出発予定のロイヤルネパール航空のRA412が出ないのです。なんと6時間も遅れて17:30に飛び立ちました。遅れた原因は機材の調達が間に合わなかったとのことでしたが、実は先週は36時間遅れた話を聞いて、まあよい方か、と納得しました。したがってカトマンズに着いたのは現地時間の23時ころ、ホテル ネパールに入ったのは真夜中です。ここでホテルエベレストビュウの創設者宮原さんの出迎えをうけました。翌朝はエベレストに向かうのです。スーツケースからリュックを取り出し、山行きの準備をして寝たのは26日の午前2時を過ぎていました。

写真は遂にエベレストが見えてきました。中央はローツェその左に一寸頭を出しているのがエベレスト

2006年11月 3日 (金)

ヒマラヤの旅3高山病対策2

Imgp0812_1 この低酸素室に,3回通いました。毎回2,3人の人と一緒になりますが中年の方が多くヒマラヤの名峰やその周辺の山の話題でいっぱいです。最後の訓練を終わった日 10月18日に偶々三浦雄一郎さんと会いました。彼は9月中の日経の「私の履歴書」を書いていたほどの有名人ですが私とは大学が一緒で、彼の方が3年ほど後輩です。多少面識もあり昔話のあと別れました。

写真はシャンボチェの空港からホテルに向かう 山はタムセルク

2006年11月 2日 (木)

ヒマラヤの旅 2 高山病対策1

Imgp0807_1 私の年齢が78歳ということで、旅行の申し込みをした時に会社(ヒマラヤ観光開発㈱)から4千M位のところに行きますからと医師の診断書を求められました。同時に高山病対策として高所順応のテストと訓練を受けることを薦められました。場所は代々木にある、プロスキーヤーで有名な三浦雄一郎の事務所です。私は素直にそのテストと訓練を受けることにしました。最初の日は、は肺活量、握力、跳躍力、などなどんの適正検査の後、低酸素室(高度に対応した酸素量の10畳位の部屋。 私の泊まるホテルエベレストビュウ は3880mだから酸素濃度は12.7%ですが、普通の空気中の酸素濃度は20.9%になります)に入り安静にして30分ほどたった後負荷をかけた自転車こぎ を30分やりながら 血中酸素の減少や脈拍を調べます。これを3回やって1万6千円です。最初の日は”お年のわりにお元気ですね。これなら山は大丈夫でしょう、後2回来てください”ということでした。

« 2006年10月 | トップページ | 2006年12月 »