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ブログ:ココログ

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2007年1月31日 (水)

歩く23 東海道⑯

File0038 File0039 14日目 15年6月21日 掛川→磐田  新幹線で掛川に行き8時に歩き始めました。昨夜の飲みすぎで歩くのが少々キツイ。西掛川から左に入って253号線を歩く、快晴。袋井に入って間もなく、年寄りのオバサンに声を掛けられ、袋井市役所の近くの茶屋に案内してもらう。(写真)ここが東海道の真ん中に当たるそうだ。このあたりの人は東海道を歩く人に理解があるのか、声を掛けてくれる人が多い。今日は豊田まで行くつもりであったが、疲れたので磐田で止めることにする。歩く前にはあまり飲んではいけません。ヤハリ年ですね。磐田の駅から、浜松で乗り換えて帰りました。    17.5km歩く

費用 JR10,270 その他1,735 合計12,005      JRの費用が1万円を越したので、ボツボツ一泊して2日歩いた方が経済的かな と考える。

2007年1月30日 (火)

歩く22 東海道15

File0036 File0037 13日目 15年4月10日 藤枝→掛川 前回は焼津の大井川町まで行ったので、今日は大井川の手前から歩くことにしました。例によって新幹線のなかでバナナとおにぎりの朝食、静岡で乗り換えて藤枝8時、歩き始めて9時に国道1号線に合流、10時半に大井川を渡りました(写真)。国道351号線(島田・金谷線)から旧道の石畳を歩きます(写真)。小夜の中山峠の下りで道を間違えて日阪(ニッサカ)バイパスに入ってしまいました。ウナリを上げて走ってくる大型トラックの群れに4Kmほど震えながら歩きましたがやっと1号線に戻りました。足が痛くなり少し疲れてきたのでバスかタクシーを捕まえようと思いましたが全くダメ、結局掛川まで歩きました。4万歩以上歩いたのは初めて、駅前で食べたがお好み焼きが旨かった。掛川は こだま が止まります。16:57に乗って自宅には7時半ころ着きました。  28.1km歩く

費用 JR9,160 お好み焼き1,606 その他1,472 合計12,238

2007年1月29日 (月)

歩く21 東海道⑭

File0034 File0035 12日目 15年4月1日 東海道を歩きながら焼津にある鰹節やさん(マルハチ村松)には是非寄って見たいと思いました。東海道の旧道からは少し外れるが、連絡したら1時に来てくれとのことで、松風閣を出たのが9時過ぎでした。150線を14kmほど歩いて会社に到着、会長の村松さんにお会いして23年前に一緒にアメリカのスパイス事情視察に行った思い出など昔話をした後、工場見学、カツオエキスの抽出装置など丁寧に案内してもらいました。素晴らしい工場でした。静岡の駅まで車で送って頂いて、その日は帰京、自宅には6時半に着きました。         14km歩く        写真(松風閣 と 桜)             費用 松風閣25,832 その他1,521  合計27,353

2007年1月28日 (日)

歩く20 東海道⑬

File0032 File0033 11日目 15年3月31日 興津→静岡→焼津  新幹線で静岡まで行き、在来線で一寸戻って興津から歩きます。清水を通って静岡に入りました。神奈川TV「みそ博士の元気いっぱい」の番組キャスター相沢さんから静岡市の「諸国味噌」(写真)を取材したらどうですか とお勧めがあって訪ねることにしました。ここは日本各地の味噌を計り売りしている店で、社長の鈴木さんから有益なお話を聞きましたが、味噌好きのお客さんがひっきり無しに来て忙しそうでした。この日静岡の城跡の桜は満開でした。(写真) ここから焼津に行きたいと道を尋ねましたが、150線の日本坂トンネルは歩行者は通れない とか 海岸よりの道も大崩れのあたりは歩けない などの情報で、やむなくJRで焼津に行って、駅の近くの松風閣(私にとっては立派すぎる)に泊まりました。  17.6km歩く

費用 JR静岡往復8,640 おにぎり お茶 昼食など3,010  合計11,650

2007年1月27日 (土)

歩く19 東海道⑫

File0030_1 File0031 10日目 15年3月15日 例によって新幹線の中でおにぎりの朝食、三島から在来線、富士川で下りて歩き出したのが8時、蒲原から海岸線にでました。発酵の仕事に長く携わっていた私の好奇心からですが、海辺に咲く花、波打ち際にある海藻などに耐塩性の酵母菌が付着していることを期待しました。そこでピンセットやサンプル瓶を持って拾いながら歩きました。(この結果は期待外れでしたが)。間もなく波除けのテトラポットが何百もあるところで行く手を阻まれました。(写真はその一部)もとに戻るのも面倒だと思いそこを乗り越えることにしました。この4本?の足の出たコンクリートの塊は意外と大きくて簡単には飛び越えられません。もし足を滑らして間に落ちたら這い上がることは出来ません。声は聞こえない、絶対に見つからない、ここがわが人生の終わりになるかも知れないと慎重に乗り越えて行きました。今思えばバカなことをしたものです。テトラポットをやっと越えたら、今度は海に注ぐ川、浅瀬を探して本道の橋に辿り着きました。足は濡れてグチャグチャ、この橋が狭い上に車の往来が激しくて渡れない。大きく迂回して歩道の付いた旧道の橋を見つけました。このあたりは桜海老の産地で店先でよく見かけました。小池邸に立ち寄りました。ラムネを飲みながら庭の水琴の音にしばし耳を傾けました。ここを出ると薩垂峠です。(写真) 旧道を離れて遊歩道を歩きましたが、眺めがよく、またいたるところ甘夏がタワワに実り オレンジ色と海の青さとのコントラストが見事でした。峠を越すと間もなく興津です。駅前の小料理屋で遅い昼食を刺身定食で済ませてここより帰宅。 21.2km

費用 朝食240 ラムネ150 小池邸100 昼食3045 JR7890 合計12095

歩く19 東海道⑫

2007年1月26日 (金)

歩く18 東海道⑪

File0028 File0029 9日目 15年1月31日 新幹線で三島まで行き東海道線に乗り換えて東田子浦で下りて歩き始めます。寒い。この日は快晴一日中富士山が見えました。旧道は大きく迂回している上なかなか探すのが面倒、結局車の往来の激しい第一国道を歩きました。11時頃には早くも富士川を渡りましたがここからの富士山は絶景!。川を過ぎた辺りから旧道に入り間もなく本日の目標のJR富士川駅に着きます。この駅周辺は食堂が皆無、帰りの新幹線で昼食はサンドイッチとビールでした。この回からJRのジバング(老人割引30%)を使いました。 19.3km歩く  

費用 JR6090 朝食260 昼960 合計7310

2007年1月25日 (木)

歩く17 東海道⑩

File0026 File0027_1 8日目 15年1月22日 新しい年になって(平成15年)初めての歩き。こだまの車中で朝食、三島で下りて三島大社を7時半に出発。道は分かりやすいがトイレが無くて困る。狩野川添いに歩いて三園橋を過ぎて千本浜公園のあたりから道を外れて海を眺めながら防潮堤を歩きました。残念ながら富士山は見えませんでしたが、冷たい潮風にあたり気持ちがいい。海はおだやか。防潮堤には250m毎の標識があり歩数から正確な歩幅が分かります。一歩67.5cm 100mを150歩、3万歩歩いて大体20Kmと見当がつきます。この日は5時間ピッタリ歩いて予定通り東田子浦に着きました。東海道線で三島に出て、こだまの連絡もよく3時前に自宅に入りました。 22km歩く

費用 JR7030 朝食262 新幹線でビール他960 合計9152

2007年1月24日 (水)

歩く16 東海道⑨

File0024_3 File0025_1 7日目 14年11月17日 前回の蕎麦やの前から9時半に歩き始めます。箱根峠を越え、接待茶屋跡、山中城跡を過ぎて長い下りが続きます。今日の昼飯は歩きながらバナナを1本食べただけ、峠からの下りは石畳が多いのですが、とくに「こわめし坂」などキツイ下りでは足が少々痛くなりました。2時近く、三島大社に着いて一休み、餅を買って三島駅からこだまで帰りました。 14km歩く

費用 ロマンスカー2020 バス930 JR3890 餅1000 合計7840

2007年1月23日 (火)

歩く15 東海道⑧

File0022_1 File0023 6日目 14年11月9日 新宿から7時のロマンスカー。湯本からバスで畑宿へ、9時に歩きはじめます。見晴らし茶屋をすぎ、森の中の石畳を歩く。車も来ない人も見かけない、秋の風情を楽しみながら登ります。10:45には早くも芦ノ湖に着きます。ここでわかさぎを肴にビールを少々、近くの成川美術館に寄ったがナカナカのもの、特に日本画がいい。再び歩き始めて間もなく箱根ホテルの前の蕎麦やで一休み、燗酒を飲んでいるうちに歩くのがイヤになって今日はここでオシマイ。バスとロマンスカーを乗り継いで自宅へは4時頃着きました。 8.0km歩く

費用 ロマンスカー4040 バス1310 酒と蕎麦3870  合計9220

2007年1月22日 (月)

歩く14 東海道⑦

File0020 File0021 5日目 14年10月19日 東京駅から静岡行きに乗り車中で朝食、国府津で下りて歩きます。親木橋、酒匂橋を渡ると間もなく小田原に入ります。お城の形をした ういろう屋(写真)を見ながら進みますと三枚橋です。ここから箱根峠の登り道。旧道、遊歩道がはっきりしていて迷うことはありません。今日の目的地 畑宿 (写真)に昼ごろつきました。バスで湯本まで戻りロマンスカーで帰りました。 19.6km

費用 JR1600 バス380 ロマンスカー2020 朝食267  サンドイッチ他飲み物1750 合計6017

2007年1月21日 (日)

歩く13 奥多摩2

Imgp0977 Imgp09782,3日前のことですが、1月18日に思いついて奥多摩に行きました。今日の目的は大岳山(1267m)に登ることです。JRの中野駅を6:52の特別快速で出て青梅線の御嶽駅が8:20頃でした。ケーブルカーから下りて歩き出したのが9時少し過ぎ、天候は次第に晴れて来ましたが、一面小雪の降ったあとで雪化粧が輝いていました。緩やかな登り道には雪はなくハイキングには最高のコースです。急な登りにさしかかるあたりから雪が残っているので、今日はここで中止、そのまま引き返しました。時間が早いので青梅線の沢井で下りて、渓谷にある料亭”ままごとや”に寄って名物の豆腐料理と、銘酒”沢の井”をシッカリ飲んで帰りました。

2007年1月20日 (土)

歩く12 東海道⑥

File0018 File0019 4日目 10月11日 消防署の関係する合同視察研修会があって湯河原に泊まりました。翌朝皆と別れてタクシーでJRの湯河原に出て茅ヶ崎駅前から7:00に歩き始めました。コンビにでお茶とおにぎりを買って歩きながら食べたが実にうまい。間もなく相模川(馬入川)を渡りますが富士山が見えました。順調に歩いて国府津駅に着いて昼飯と思いましたが、この駅の周辺にはなにもありません。仕方なく電車で中野に戻りましたが、ここでやっと昼飯、自宅へ帰って3時でした。    20.3km   写真は 相模川 と 大磯

費用 タクシー 1400 JR 2190 お茶とおにぎり 256 ドリンク剤 294 やきそばとビール 1060              合計5200

2007年1月19日 (金)

歩く11 東海道⑤

3日目 9月21日 今日はJR戸塚東駅からです。7:40に出たが、旧道がよく分からないので、車の多い第一国道をしばらく歩く。遊行寺坂付近で東海道を歩いている3人組に話しかけられる。「どこから歩いてきましたか?何処まで行きますか? とか おいくつですか」 とか聞かれるが 私はどうも こういうのが苦手で適当に返事をしてわかれました。上正寺を過ぎたあたりで昼飯、今日は天ぷらそばにビール。ここから1時間で茅ヶ崎駅に着きます。この駅から新宿回りの快速電車が出ているのは知らなかった。丁度間に合って 3時には自宅に入りました。       20.0km       (この日の写真はありません)

2007年1月18日 (木)

歩く10 東海道④

File0016 File0017 2日目 14年9月7日 京浜川崎駅を7:30に出発、霧雨で蒸し暑い。鶴見川橋(写真)を渡りしばらく行くと、近くに住む老人が話しかけてきて「生麦事件」の小冊子を渡されました。「生麦事件の碑」(写真)は目立たないところにありました。隣のキリンビールの工場はよく目立つ。このあたりから旧道が分かりにくい。青木橋の近くで道を尋ねながら権太坂に入りました。この坂は年頭恒例の箱根マラソンで有名ですが、この近くに中学の同級生で飲み友達がいます。電話をかけたところ イル というので立ち寄りました。早速蕎麦と酒が出てきて、酒盛りになって、今日はここで終わり。JRの戸塚東に送ってもらって自宅に戻りました。  19.0km

2007年1月17日 (水)

歩く 9 東海道③

File0004 File0005 1日目 平成14年8月13日朝6:55日本橋を後にしました。大門の交差点を過ぎ品川駅を少し行ったところから旧東海道に入ります。「日本橋より2里」のところ(写真)に休憩所があり親切なおばちゃんがお茶をだしてくれました。大森駅の近くを通って六郷の橋の手前で昼食。真夏の炎天下を歩いて回転すし屋のビールが実にうまい。橋を渡ると大体予定の20kmになります。京浜川崎の駅まであるいて今日は終わりです。30071歩は私の歩幅で計算すると19.8kmになります。電車で自宅に戻って14:20でした。もう1枚の写真は「鈴が森刑場遺跡」

2007年1月16日 (火)

歩く 8 東海道②

File0015 File0008 東海道53宿 492.1kmの起点は日本橋、終点は京都三条大橋ですが、中山道69宿 533.9kmも起点終点全く同じです。昔は東海道を12泊13日、中山道を15泊16日で歩いたのが標準だそうです。一日平均30~40kmのペースで歩いたことになります。東海道を一人で歩くには多少準備が要ります。資料は児玉幸多さんの「東海道53次を歩く」の他に2種類買いましたが、実際に歩くにはもっと細かい地図が欲しいと思い、昭文社の「県別マップル3万分の1」を歩く県だけ順々に揃えました。主として旧道を歩きたい(車が少ない、眺めがいい)と思いましたが、旧道を明記した地図はありませんでした。尤も旧道の上に新しい道が出来るのですから、はっきりと旧道が残っているのは、全体の2割程度ではないでしょうか。地図を開いて歩く道を決めてマーカーで線をひき、キルビメーターで距離を測ります。一日で歩く距離、20km付近の駅を探してその日の目標を決めます。その日のうちに引き返すか、その近くに泊まるかを決めます。後から分かったことですが歩く予定の県又は町の観光課に電話して旧道を歩く案内書を取り寄せる「手」がありました。

2007年1月15日 (月)

歩く 7 東海道①

File0011 File0012 70歳を過ぎてからの山(三千m級)歩きは家族から猛反対されました。曰く「この歳で遭難したら、年寄りを山に行かせた家族が悪いと言われる」曰く「遭難した時の費用は誰がだすのですか、ハンパな額ではないですよ」曰く「足でもくじいて動けなくなったら、どれだけ人様に迷惑かけるか分かりませんよ」曰く「本人は、死んじゃうからいいけれど・・・・」等々そこで私は「高い山がダメなら平な道なら良いだろう」と言って東海道を歩くことにしました。尤も私の同級生が東海道を歩いている話を聞いて「コレダ」と思いました。平成14年8月13日日本橋の橋の中央に埋められている道路原票を後にして歩き始めました。74歳と1ヶ月ですた。写真は道路原票 と上を走る高速道路

2007年1月14日 (日)

歩く 6 八ヶ岳赤岳2899m

File0006 File0007 周囲から70歳を過ぎてから山歩きの一人旅を反対されて甥と一緒に行きました。2001年8月12日美濃戸口から入り行者小屋を10時頃出て小雨の中を歩きました。頂上近くの展望荘には午後の2時過ぎに着きました。シャワーが使えるというので喜んでやってみました。ジョロのサキがゴムホースでバケツにつながっているものでしたが、僅かなお湯で気持ちよく汗を流しました。翌朝は、6:45頂上。雲海を分けて出てくる太陽に手を合わせました。富士山もよくみえました。駒草も咲いていました。  県堺尾根を下って、清里から電車、7時ころには自宅に戻りました。

2007年1月13日 (土)

歩く 5 白馬岳  2933m

File0003 2000年8月11日新宿を夜行で出発、翌朝白馬駅着,猿倉までバス、6時半から歩く初めて8時半に大雪渓にはいりました。きつい登りを8時間近く、この時の苦しさは今でも忘れません。70歳を過ぎて夜行で来てすぐ登り始めるのは無理、しみじみ体力の限界をしりました。午後4時過ぎに倒れるようにして頂上山荘に入りました。ビールよりも味噌汁がうまかった。翌朝は霧、頂上に向かう途中、自分の姿が丸い虹の中に現れるブロッケン現象を見て感動!7時頃には頂上に到着、その後長い下りを歩いてその日のうちに自宅にかえりました。一人旅。

2007年1月12日 (金)

歩く 4 木曾駒ケ岳 2956m

この山は家内と二人で1997年(平成9年)7月に登りました。新田次郎の「聖職の碑」(内容は大正2年8月26日に近くの村の小学生が集団で登山して暴風に会い10人が死亡するという遭難事故の記録)を読んだのが動機でした。新宿を出て上諏訪で飯田線に乗り換え、駒ヶ根で下ります。ロープウェイで千畳敷に行き、ここからキツイ岩場を登り頂上に近い天狗荘に着きます。ここで一泊。翌朝は頂上でご来光を拝みました。北アルプス、南アルプス、富士山と眺めは最高、下山の途中千畳敷の平は花に埋まっていました。

2007年1月11日 (木)

歩く 3 千丈ガ岳(3033)

昭和25年に北アルプスを歩いた以後社会人になってからは、富士山に登ったり近郊の山を日帰りで歩く程度で、45年間、山からとうざかっていました。67歳平成8年9月7日に千丈ガ岳に一人で登りました。甲府から乗り合いタクシーで広河原へ、、ここから村営バスで北沢峠に行き、歩きはじめます。頂上に近い「馬の背ヒュッテ」に泊まり翌朝頂上に登りました。天気が良く、日の出が美しかったこと、若い女性の登山者達とおしゃべりしたことが思い出されます。

2007年1月10日 (水)

歩く 2 北アルプス

古い話だが1950年(昭和25年)大学の山岳部の人(佐伯富男 その後著名な登山家になった 故人)に連れられて行ったのが最初でした。その年の7月22日一行5人で松本の島島から歩いて徳本峠を越して上高地に出て、唐沢から奥穂高、北穂高、槍ヶ岳をやって、三俣蓮華、黒部五郎 を通って富山の芦峅寺に下りたのが29日でした。この村は立山の信仰登山基地で村人の大半が佐伯姓で登山の専門家であったのが印象的でした。

2007年1月 9日 (火)

歩く 1 奥多摩1

Imgp0969_1_2 Imgp0970_2_1  昨日成人の日は快晴・無風に恵まれました。北陸地方はじめ一部は台風並みの被害を受けたところもあったようでした。朝はこの冬一番の寒さ、-0.5度  中野駅発7:40 特別快速で立川乗換え青梅8:35着 同じく8:42発のホリデー快速で御嶽着8:55   バス、ケーブルカー を乗り継いでから25分歩いて御嶽神社10:10着。 一休みしてから大嶽方面に歩き、途中から御嶽沢岩石園に下りて綾広の滝 七代の滝を見て帰りました。キツイ下りと登りを交えて歩くこと3時間 12:30に参道の土産店で昼食をとりました。ひさしぶりにいい汗をかいて、体重も体脂肪%もグット下がりました。写真は綾広の滝と七代の滝です。

2007年1月 8日 (月)

食べ物 なんでも相談室 48

Q:モッツァレッラチーズは他のチーズに較べて味が薄いのは何故ですか?(K.J.06,7,4)

A:このチーズはイタリアのチーズでピザパイ用に多く使われています。熟成期間の短い非熟成タイプで、加熱するお料理などにも使われます。真っ白で味はサッパリしています。モッツァレッラはイタリア語の 引きちぎる という意味で製造の工程からきています。

2007年1月 7日 (日)

食べ物 なんでも相談室 47

Q:赤ピーマンのビタミンCは加熱しても破壊されにくいのは何故ですか?(K.J.06,7,4)

A:ビタミンCは水に溶けやすいことと熱に弱い性質があります。イモ類に含まれるビタミンCは澱粉によって守られていて比較的に調理中の損失は少ないが、ピーマンの場合はアクが無いから水洗いも簡単に済ませるし、油炒めなどのお料理では加熱時間がすくないから損失が少ないようです。ビタミンCは大切なビタミンです。一番気をつけなければいけないことは、水への溶け出しです。

2007年1月 6日 (土)

食べ物 なんでも相談室 46

Q:七草粥 ってなんですか?

A:1月7日 明日の朝は 七草粥 をたべて下さい。  七草には 春の七草(せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ)と秋の七草(はぎ、おばな、くず、おみなえし、なでしこ、ふじばかま、あさがお)があります。明日使うのは春の七草です。正月7日に,五節句(1月7日、3月3日、5月5日、7月7日、9月9日)の最初に用いられます。お正月の行事として昔から定着しています。野菜の少ない時期に、またお正月のお料理で胃腸が疲れている時に青みが多く消化のいい七草粥を食べるのは、栄養的に、保健上からも優れた生活の知恵と思います。ちなみに、七草の一つ なずな はペンペン草のことで、いずれも身近にある草です。   

2007年1月 4日 (木)

食べ物 なんでも相談室 45

Q:塩はくさりませんか?                (T.Y.06,7,4)

A:腐りません。腐る、又は腐敗するという現象は、あるものに微生物が働いて、ヒトにとって不都合なもの、食べられないものが出来た時は腐敗であって、良いもの、美味しいものが出来た時は発酵といいます。塩に微生物が働いて食べられなくなるとか、使えなくなることはありません。微生物の中には、高濃度の塩水の中でも増殖する好塩性菌(Halophilic microorganisms)があります。高い濃度の塩の存在下で働く菌としては醤油の生産に関わるPediococcus halophilus   Saccharomyces rouxii などが知られています。

2007年1月 3日 (水)

食べ物 なんでも相談室 44

Q:お酒の起源はいつ頃ですか?      (B.S.06,6,27)

A:お酒の起源は「猿酒」であるという人もいますが、真偽の程は分かりません。ただ人類誕生の以前からお酒があったことは想像できます。それは甘い果実に付着した酵母が糖分を発酵してアルコールを作ることは何万年の昔でもあり得ることと考えるからです。しかし人間が飲む目的で酒を作ったのは紀元前5千年ころ、いや、それよりも前かも知れません。人類が始めて器(ウツワ=入れ物)を開発してその中に甘い果実を蓄え、そこに酵母が付着して偶然にお酒ができる、いい香りがする、飲んでみた、いい気持ちになった、そこで自分で作ってみた・・・・のがお酒の起源と思います。したがって甘い果実を原料とするワインのような果実酒が最初に作られ、その後紀元前4千年ころビールが作られたと考えます。但しビールや日本酒のように穀類を原料とする酒は穀物(澱粉)をいったん麦芽や麹で分解して甘い糖分を作る工程が必要ですから、ワインより複雑です。果実酒の誕生より千年くらいは遅れてビールが作られるようになったのではないでしょうか。  明日は「塩は腐りませんか」にお答えします

2007年1月 2日 (火)

食べ物 なんでも相談室 43

Q:おせち料理の由来を教えてください

A:「おせち」という言葉は「お節句」からきています。神前に捧げるお料理の総称ですが現在はお正月料理のことになりました。一般にはお正月の間、女性がユックリ体を休めるためのお料理といいますが、実際は正月に神様をお迎えする間は、騒々しく煮炊きをすることを慎むため お料理の作り貯めをするところからきているようです。お料理は、田作り(ごまめ)数の子、きんとん、昆布巻き、煮物(ごぼう、れんこん、里芋など)えび料理、なます、伊達巻、鯛、ダイダイ、錦たまご、紅白かまぼこ、金平ごぼう など比較的日持ちのするものが作られます。(一部google参照) 明日はお酒の起源について説明します。

2007年1月 1日 (月)

食べ物 なんでも相談室 42

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

Q:何故お正月にはお雑煮を食べるのですか?

A:お雑煮は新年の行事の中では最も重要なものとされています。それは餅は「望」モチに通じて 円満 を表すと考えられ、さらに丸い形は鏡に見立てられ、お祝いには欠かせられないものとして伝わったものです。また焼いて膨らんで丸くなるのも縁起がよいことと喜ばれました。したがって文化の古い関西では現在でもお雑煮には丸餅が使われ、関東の切り餅は略式であるという人もいます。地方によってお雑煮はそれぞれのタイプがありますが、大別して関東はスマシ仕立て、関西は味噌仕立てです。この違いは武家の多い関東は「ミソをつける」の言葉を嫌い、町人の町関西はそんなことはお構いなく経済と伝統しきたりを守って、ミソ仕立てが続いているといわれます。  (本山荻舟 飲食事典より) 明日は「おせち料理」の疑問についてお答えします。

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