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2007年3月31日 (土)

食べ物なんでも相談室57

Q:統計は何人くらい調べれば信憑性が得られるのですか? (B.S.)

A:この教室で毎回のようにやっている味覚テストの統計のことと思います。統計を取るのには目的によって、パネルの選び方、パネルの人数など大きく変ります。食品の官能評価について、パネルの人数は大体次のように考えます。 

      パネルの種類               人数                                     差の検出パネル                   5~10                   特異性評価パネル                  6~12                      嗜好調査パネル                                                       大型 の場合                    200~200,000                中型 の場合                     40~200                    感覚研究パネル                                           研究室の場合                    8~30                                市場調査の場合                100~200,000

(食品の官能評価・鑑別演習 日本フードスペシャリスト協会編 を参考にしました)

                     

2007年3月30日 (金)

食べ物なんでも相談室56

Q:たくさん運動をするとショッパイ汗をかきます。運動の選手は汗をかく分多めに塩分をとったほうがよいのですか?     (B.S.)

A:塩分を摂ってください。汗の中の塩分量は平均して0.4% 、つまり 1リットル中に4gです。汗の量は激しい運動をした時に多いひとで 3~4リットル といいます。まあ2リットル位と考えてもかなりの塩分が出て行きます。スポーツドリンク 梅干 なんでもよいのですが、補給してください。水分もお忘れなく。

2007年3月29日 (木)

食べ物なんでも相談室55

Q:梅酒を家で作るのですが、月日がたつとどんどん茶色くなってしまうのですが何故ですか?色を止めることはできないのですか?    (K.T.)

A:メイラード反応で色が付きます。この反応は又の名を アミノカルボニル反応とも、メラノイジン反応ともいいます。糖分とアミノ酸の反応で、お酒、味噌、醤油など食品の多くはこの反応で褐変します。温度が高いと反応が進みます。反応して出来た褐色物質はメラノイジンといいます。体にいいということで機能性が認められ、この頃話題になっています。変色を止める方法は特にありませんが、冷温に貯蔵することによりかなり着色を抑えることが出来ます。

2007年3月28日 (水)

食べ物なんでも相談室54

Q:ピータン は何故火を通してないのに固まっているのですか?黒く変色していますが、腐っていないのですか?(G.A.)

A:ピータンは本来アヒルの卵を使ったもので中国料理に出てきます。卵白や卵黄をアルカリ浸漬により蛋白変性を起こさせた卵の加工品です。作り方は、石灰や食塩を含む泥状のものを卵に塗り1ヶ月以上おきます。火を通さなくても中の蛋白質はアルカリのために変質して固まり色も変わります。腐っているわけではありません。現在は鶏卵が多く用いられています。

2007年3月27日 (火)

食べ物なんでも相談室53

Q:豆腐には「絹ごし」と「木綿}がありますがどこが違うのですか?(S.H.)

A:私は朝早く豆腐屋さんを訪ねました。うるさがって相手にしてもらえず3軒目で取材に応じてくれました。  豆腐を作るときは、大豆を一晩水に漬けてから機械ですりつぶし、加熱して、おからと呉汁に分けます。呉汁ににがり(蛋白凝固剤)を入れて固まらせますが、その時木綿豆腐の場合は、穴のあいた木の箱に布を敷いて呉汁を流し込み水分を取りながら固まらせます。したがって出来上がったとき布の模様が付きます。絹ごし豆腐の場合はステンレスの箱にとって水分を含んだまま固まらせますから、仕上がりは柔らかく布の模様は付きません。成分の違いとしては水分が多い少ないの違いはありますがあまり大きな差はありません。

2007年3月26日 (月)

食べ物なんでも相談室52

Q:味噌の賞味期限について、詳しく教えてください。(U.Y)

A:味噌の賞味期限を気にすることはありません。味噌は大切な調味料であると同時に昔から貴重な保存食でした。天災などで食料が無くなり、飢饉に襲われた時、味噌は大切な塩と蛋白質の補給源となりました。したがって3~5年くらい保存しても、食べられなくなることはありません。味噌を長く保存すると色が赤黒くなってきます。この褐変現象はメラノイジン反応といい、褐変した物質はメラノイジンです。近年このメラノイジンは老化防止などの機能性が認められてきました。お味噌は長く置くと色が変るだけでなく、水分が減って硬くなってきます。新しい味噌と混ぜて食べると美味しくいただけます。賞味期限が過ぎても捨てないでください。では何故賞味期限は表記されているかというと、「食べごろ」のめやすと考えます。保存はなるべく涼しいところが良いでしょう。

2007年3月25日 (日)

食べ物なんでも相談室51

Q:味噌が熟成して食べられるまで、どのくらいかかりますか?(U.Y>)

A:大豆を煮て、麹と塩を混ぜて(仕込み)から早いもので2ヶ月~3ヶ月、長いものでは1年~3年熟成させます。比較的 麹の多いもの(甘口)は短期間で味噌になり、麹の少ないもの(辛口)は熟成が長くかかります。また熟成の温度が高いものは短期間で熟成し温度が低いと熟成に時間がかかります。見た目で色の白いものは短期熟成、色の濃いものは長期熟成のものが多いようです。熟成の期間は原料の配合や仕込みの温度、熟成の温度で大きく変るため、一概に決められません。

2007年3月24日 (土)

食べ物なんでも相談室 50

Q:ビールには、コロナビール、黒ビールなど、多くの会社が工夫をこらして うまさ を追及してますが、手軽に手に入って、これはおすすめ というビールはありますか?

A:私も方々の国でいろいろのビールを飲みましたが、行った先の国では、その国のビールが一番うまいと感じました。それぞれの国の気候、食べ物に合わせて、飲み物は作られるからだと思います。コロナビール を飲むなんてあなたも随分おしゃれですね。これはメキシコでライムをはさんでラッパ飲みしたら最高です。私は家では サッポロの缶生を毎日飲んでます。

2007年3月23日 (金)

食べ物なんでも相談室49

「歩く」が続きましたがまた「食べ物相談」にもどります。

Q:「東北の食事は塩辛い」と聞きますが、誰が言い始めたのですか?実際に塩辛いのですか?(I.M.)

A:私の考えでは、このことを最初に言い始めたのは、東北大学の近藤正二先生だと思います。先生は昭和10年頃から35年間、日本中990ヶ町村を歩いて長寿村と短命村の食事の違いを調べました。その結果、東北地方は長寿村が少なく、その原因は塩分のとりすぎと、白米の食べすぎにあるという結論を発表されました。それが昭和46年ですから、その頃から東北地方は味噌汁も漬物も塩辛いと評判になったと思います。それ以来栄養指導もあって、この地方の食生活も変わってきたと聞いています。詳しくは「日本列島味覚構造の原点」加藤純一著 又は「日本の長寿村・短命村」近藤正二著 「長寿村 短命村の教訓」小森豊甫著 などを参考にしてください。

2007年3月22日 (木)

歩く73 中山道35

あとがきFile0149 File0150 File0151平成16年1月22日に歩き始めて17年11月16日に終わったのですからその間1年10ヶ月かかりましが正味歩いたのは33日でした。中山道は534kmですから1日16km歩いたことになります。今から150年ほど前、皇女和宮が江戸の徳川家茂のところに御降嫁された話は有名ですが,その時は中山道を通りました。女官と侍を従えた大行列だったようですが(一説によると護衛を含めて20万人といいますが マサカ)東海道は大きな川が多くて、雲助が肩車して川を渡るのを女官たちが嫌がったのではないかと,かってな想像をしているのですが、中山道は山道が多いが川幅が狭いから少し遠回りになるがこちらを選んだと思います。この女性の多いご一行様が京都を発ったのが文久元年(1861)10月20日で、歩いて江戸の九段清水屋敷に入ったのが11月15日ですから25日で到着してます。一日平均21.4kmになり、その速さにはタマゲます。私も年ですが1日20kmがよいところで2日3日と続きません。昔の人の健脚に脱帽すると同時に何を食べて歩いたかも興味が湧きます。 ところで中山道を歩いて、よかったところ、印象に残ったところは、①碓氷峠のアプト遊歩道 ②和田峠の山道 ③恵那から細久手までの十三峠と大黒屋 でした。(写真の左から)。   ヒマラヤの旅 東海道 中山道 と長い間 お読みいただきありがとうございました。

2007年3月21日 (水)

歩く72 中山道34

33日目 平成17年(2005)11月16日 山科→京都三条大橋 終点File0147 File0148  快晴 今日で中山道も終わり。ホテルから三条大橋まで4.5kmしかないので朝はユックリ。孫達に自作の絵入りのはがきを書く。水彩の道具は新宿の世界堂で求めたもので、初めて使うがうまく描けない。わが身の才能の無さを嘆きながらそれでもなんとか3枚画きました。ホテルの前の通りが三条通りですから、そのまま真っ直ぐ歩けば終点に到着します。9時にホテルを出ました。三条大橋には家内が12時に迎えにでることになってます がこのまま行けば10時半には着いてしまう。そこで途中琵琶湖疎水記念館に立ち寄りました(写真)。ここは、琵琶湖の水を水路を作って京都に運び、発電、飲料、灌漑、輸送水路に使うという大建設の偉業を記念したものです。かなりの落差がありますから、発電にはいいのですが、輸送にはインクラインを作るなど相当苦労したものと思われます。興味深く見ました。まだ時間があるので平安神宮を参拝、京都美術館を見て12時に三条大橋に到着しました。そこにはTさんご夫婦に家内も見えて中山道の踏破を祝福してくれました(写真)。この日はアメリカのブッシュ大統領が京都に来ていてモノモノシイ警戒でした。早速4人で近くの有名な小料理や「河繁」で乾杯しました。料理が美味しかった。この後高尾山の神護寺に行き見事な紅葉を楽しみました。

費用 ホテル一人17,103 美術館500 陶芸展500 合計18,103

2007年3月20日 (火)

歩く71 中山道33

32日目 11月15日 石山駅→山科 File0145_1 File0146_1 寒くなってきました。今日は石山駅から歩き始めます。草津の観光案内所の地図を頼りに旧東海道を歩きました。快晴。間もなく義仲寺(ぎちゅうじ)、木曾義仲の墓があります。巴御前が草庵を結んだところ、すぐ近くに、芭蕉の墓もあります(写真)。「木曾殿と背中合わせの寒さかな」の句がありました。いつ詠んだ句でしょうね? 札の辻で国道161号に入り、うどんの昼食、間もなく国道1号と合流します。逢坂に入り大谷付近から再び旧道を歩きます。間も無く山科、駅前の立派なホテル。夕食は1階のフランス料理でした。 11.6km

費用 JR8,890 JR190 新聞140 朝食458 お寺200 茶120 うどん400 ビール300 夕食2,457 ホテル11,000 朝食1,570 合計25,725

2007年3月19日 (月)

挿入 歩く69 中山道31

1日分 落ちていました。30日目 9月21日 愛知川南→野洲駅  東海道新幹線 米原乗り換えで能登川に行きます。前回は愛知川の北から車で能登川まで送ってもらいましたから、今日は能登川駅からタクシーで愛知川の南ませ行って歩き始めました。旧道を歩き西生来(ニショライ)から八日市線を横切ったところで昼食、あまり面白くない道を大篠原、小篠原と過ぎると間もなく野洲です。駅前のA旅館に入りました。旅館には風呂が無いから(旅館に風呂がないのは珍しい)駅前の銭湯にいってくれと言われ、行きました。銭湯とはいっても大浴場、風呂上りに一杯やるところもあります。ここでユックリ疲れを癒して旅館に帰りました。この旅館一寸粗末で(或いは工事中)洗面所・便所に水が出ないのに困りました。20.6km  

費用 JR1,711 タクシー2,300 新聞140 おにぎり260 焼肉1,397 風呂500 ビール528充電器714 旅館7300 合計30,399

2007年3月18日 (日)

歩く70 中山道32

31日目 9月22日 野洲→石山駅File0143 File0144 朝雨が降っていました。朝食の味噌汁がうまかった。:7:15に出て旧道を歩きました。観光案内所があるので聞いてみたら、ここ草津宿には東海道と中山道の合流点があるというので少し戻って確認しました。(写真)案内所でもらった地図には旧道が分かりやすく書いてありました。前回東海道を歩いたのは2年前の12月でしたが、このあたりは幹線の1号線を歩いたので、今回は名所旧跡の多い旧道を歩きました。なかなか風情があって楽しい。12時に瀬田の唐橋を渡りましたが(写真)、ここは60年も前琵琶湖で旧制高校のボートの試合があってその応援に来た事が思い出されます。間もなくJRの石山駅に着きました。昼飯を食べようと入った食堂で「予約者だけです」と断られ、京都まで行ったら新幹線の乗り継ぎが良すぎて、そのまま車中の人となりました。サンドイッチとビールを飲みながら、ヤレヤレあと2回で京都に着く、よく歩いたもんだな と感慨にふけりました。18.0km  

費用 新聞140 週刊誌300 JR360 菓子他450 サンドイッチ他1190 合計2440

2007年3月17日 (土)

歩く68 中山道30

29日目 9月2日 高宮(彦根アートホテル)→愛知川(エチガワ)File0141 File0142  昨日は歩いた距離も長く相当くたびれたので、今日はどうかと思ったが比較的足は軽く7:00に出発しました。旧道は8号線に並行して真っ直ぐ南に向かっています。豊郷町の役場の前を通りましたが、この町はイトーチューの伊藤忠兵衛の出身地で記念碑(写真)や屋敷跡があります。堤康次郎もこの近くの出身で所謂著名な近江商人が多数このあたりから出ています。日照りが強く暑さも加わり、愛知川駅の近くまで来たら少し疲れました。明日はS君 S嬢の結婚式で祝辞も頼まれている。今日は少し早いがこの辺でやめようとおもいました(写真)。工場の脇に直売の煎餅屋さんがあったので、そこで煎餅を買ってタクシーを頼むことにしました。するとそこのご主人が「東海道線の駅まで送ってやる」と言って能登川駅まで(4km位ある)送ってくれたのです。車を運転しながらご主人曰く「若い人では送らないが、見たところかなりの年配らしいから送ることにした」イヤハヤどうも有り難いことでした。能登川から京都に出て新幹線で帰りました。 自宅には午後2時。翌日の結婚式には無事出席できました。10.5km

費用 煎餅540 茶150 JR820 昼食910  合計2,420

これには後日談があります。帰ってから煎餅屋さんのオヤジさんに礼状を出そうと思って買ってきた袋の住所を見たら滋賀県ではなく東京の港区麻布十番の「たぬき煎餅」とありました。仕方が無いからそこに電話して「これこれしかじか」と礼を言ったところ、電話の女性が「宮坂さん、私知ってる、お味噌やさんでしょう!小さい時、中野の工場を見学しました。私は野方の菓子屋の娘でこのたぬき煎餅に嫁にきているのです」世の中狭いものですね。それからお煎餅はここから買ってます。美味しいですよ。

2007年3月16日 (金)

歩く67 中山道29

28日目 9月1日 柏原→高宮(彦根アートホテル)File0139 File0140 東京駅からひかり6:36の指定は満席、自由席はガラガラ が小田原で一杯になりました。柏原を:9:30に歩き始めました。曇り空で暑くなく歩きやすい。醒ヶ井を通り樋口より左に折れて旧道を行きます。米原トンネルの上を歩く頃午後の1時になりましたが、このあたり食堂はおろかコンビニもありません。摺針峠で道を尋ねた人はお寺のダイコクさん「この辺には何も無いよ」でガックリ。峠をおりて8号線の国道まで出れば何かあると思い歩きました。鳥居本町で年配の女性に呼び止められて「うちに来て食事をしませんか」と誘われました。食堂でも経営している人かと思って付いていったら立派な庭付きの家です(写真)。いま開けますからと言って中に入って鍵を開ける。玄関から入って座敷に通され待つことしばらく、次々とご馳走だ出てくるのです。煮物、酢の物、和え物、漬物いろいろ テーブル一杯に料理が並びます。ところが私はのどが渇いています「すみません ビールありますか」と言ったら、冷たい缶ビールとピーナッツに柿の種が出てきます。そして「遠慮なく召し上がれ」と言われても,なんだか狐につままれたような思いでした。結局このご婦人は77歳(写真)、ご主人に先立たれ、息子さんも亡くし、街道を歩いている人にご馳走するのが楽しみだということでした。ご自身の趣味の作品や息子さんの描いた画など見せられて、長々と話を聞かされました。帰りに「おいくらですか?」と聞いたところ「志で結構です。仏壇に供えてください」と言われ、千円置いてきたが、一寸少なかったと後悔しました。思わず時間を過ごしましたが、旧道をまっすぐ南に向かって歩いて近江鉄道の踏み切りを渡ってすぐの交差点を右に折れると目的地の高宮です。午後から気温が上がり汗ビッショリ。ホテル到着は4時でした。 21.7km

費用 JR17,310 JR230 食事240 新聞140 茶147 ビール300 志1,000 夕食1,940 ホテル5,900 合計27,207

2007年3月15日 (木)

歩く66 中山道28

27日目 6月1日 大垣市赤坂→柏原駅File0137_1 File0138_1    赤坂6:50出発216号線をまっすぐ東に歩きます。体調がよく足が軽い、間もなく垂井町に入ります。垂井宿からは21号の国道と並行している旧道を歩きましたが、旧道の素晴らしい松並木(写真)を過ぎたところで畑のオッサンに道を尋ねたところ、この人が元 関が原町の観光課長さんでご親切に自宅に行って案内図を持ってきてくらました。この地図はよく出来ていて助かりました。このあたりは有名な史跡が多く、みて歩くのも楽しいが今回はひたすら目標に向かって歩きました。今須の峠で写真機を持ったオジサンと立ち話、シャッターを押してもらって(写真)別れました。予定より早く柏原駅に着いたが食堂が無い。米原に出て立ち食いの蕎麦で昼食を済ませて帰りました。自宅4時半   19.5km

費用 旅館9,450 新聞140 蕎麦400 土産976 ビール他910 合計11,876

2007年3月14日 (水)

歩く65 中山道27

File0135 File0136 26日目 5月31日 岐阜駅→大垣市 赤坂   家を出たのが5:15 昨日の雨が残っていました。ひかりに乗って名古屋で乗り換え岐阜駅に着いて,歩き出したのが9時でした。快晴で気持ちがいい。河渡橋(ごうどはし)で長良川を渡ります。美江寺を通って昼飯、コーヒーショップで700円の弁当で済ませました。鷺田橋で揖斐川を渡ると赤坂港があります。(写真) 間もなく赤坂の梅竹旅館に着きました(写真)。年寄りのオジサンが一人でやっているような小さな旅館でした。予定より早く着いたので隣のリカーストアーからビールを買ってきて飲みましたがうまかった。  18.4km

費用 JR15,990 新聞140 朝食240 菓子220 昼食700 茶150 切手1,000 ビール240 合計18,650

2007年3月13日 (火)

歩く64 中山道26

File0133 File0134 25日目 5月10日 鵜沼→岐阜駅    朝は大きな風呂に一人だけ、宿泊客は少ないらしい。恐る恐る支払いをしたら一泊20,750円 今まででは最高の価格でした。8時出発、今日は旧道が分かりやすく歩きやすい。昨日20km近く歩いて足の裏が痛くなり今日は歩けるかどうか心配したが全く痛みを感じない。痛くなったら並行して走っている名鉄に乗るつもりで気楽に歩きました。三柿野を過ぎ(写真)細畑の交差点の近くで昼食、体調がいいので刺身をとってビールと日本酒でユックリしました。予定の岐阜駅まであと2kmもない。結局予定より40分も早く岐阜駅に着きました(写真はホームから)。  19.0km

費用 旅館20,750 切手100 JR450 昼食1,400 土産960 車中770 合計24,430

2007年3月12日 (月)

歩く63 中山道25

File0129 File0130 File0131 File0132 24日目 5月9日 御嵩→鵜沼  老人割引ではのぞみは利用できません。東京発一番早いひかりは6:36で名古屋へ行き、名鉄に乗り換えて御嵩に:9:40に着きます。歩き始めて15分、「ミヤサカさーん」という女性の声がかかりました。この田舎に私の知っている人なぞいるわけが無い、車から下りて来る人を見たら、一月前にこの近くで道を尋ねたら駅まで送ってくれたYさんです。偶然に驚きながら先日の礼を言いました。彼女はこの先にあるフラワーフェスティバルの会場に行くところだとのことです。この日は21号線を歩きましたが歩道が不親切な作りでずっと車に悩まされました。太田橋(写真は橋からの景色)を渡ったところでファミレスのココスで昼食(写真)。ここから9kmほどあるいて今夜のやど「八勝閣みづのを」に着きました。適当に電話をかけて申し込んだが値段を確かめなかったのは失敗、あまりの豪華さに驚きました。今更断るわけにもいかないので畳敷きの廊下を女中にかしずかれながら部屋に通されました。木曽川沿いにあり(写真)食事をしながら鵜飼を楽しむところです。対岸には犬山城が望めます。(写真) 風呂よし、食事よし、値段もまたよし、の一泊でした。  18.9km

費用 JR14,800 名鉄960 新聞140 朝食240 茶150 昼食1270 合計17,560

2007年3月11日 (日)

歩く62 中山道24

File0127 File0128 23日目 4月19日 細久手→御嵩(みたけ)    大黒屋はよかった。友人のI博士が「街道唯一のオススメヒン」と言ったが成るほどと思いました。後日小生の書いた「味噌の本」を礼状に添えてお送りしたところお婆さんから達筆名文のご返事を頂きました。さて、朝は若いおかみさんが出てきました。おかずが9点もあって美味しく頂戴して出発。7:45.すぐに山道に入って(写真)のんびり歩きました。2時間も歩いたところで里に出ました。道が分からなくなって聞いたところ、21号線に出て歩きなさい、そのまま行けば御嵩の駅ですと言われその通り歩いていると、さっき道を尋ねたおばさんが後ろから追いかけてきて「駅まで送ってあげる」と言うのです。「私は歩くのが目的ですから」と断ろうと思いましたが、せっかくのご好意です。あり難く乗せてもらって御嵩の駅に着きました。ここで写真を撮りました。この人はY.Sさんといい熱心なクリスチャンで、キリストの教えを書いた小冊子を帰りの車中の中で読んでくださいと渡されました。名鉄御嵩駅から新可児、犬山と乗り換えて名古屋に出ます、ここで昼食 味噌カツとビールがうまかった。自宅には4時に着きました。 11.8km

費用 大黒屋10,500 名鉄960 昼食1,510 ビール230 わさび740 ウイロウ367 切手100 合計14,407

2007年3月10日 (土)

歩く61 中山道23

22日目 4月18日 恵那→細久手(ほそくて)  家から今日泊まる大黒屋に電話をしたら「お待ちしてます。途中の道には何も無いからおにぎりとお茶は必ず用意しなさい」といわれました。9:55に恵那を出発。快晴無風で暖かい。すぐ西行硯水の遺跡の前(写真)File0126通っFile0125_1 て踏み切りを越すと旧道に入ります。ここから道はJR線からも幹線道路からも大きく離れます。私の使う3万分の1の地図では殆んど分からない。案内所でもらった地図はあまりにも図案化してあって見にくいが、昔のお地蔵様、観音様は書いてあるので手がかりにはなります。しかし標識が所々にあって迷うことはありません。満開の桜も散り始め、新緑が美しく、鶯も鳴いています。山道の上り下りが多く、このあたりの地名は十三峠でした。旅館の婆さんの言うとおりコンビには勿論お店らしきものは一軒もなく、しぐれ橋、紅坂、一里塚、深萱立場跡を通り昼になりました。木陰で食べたおにぎりとカミサンが作ってくれたおかずがうまい。大久後、おおくて、から細久手に入り大黒屋に着きました。ここは私より一足先に中山道を歩いた友人のI教授のお奨めの宿(といってもこの辺ではこの宿しかない)です。まさに昔のままのハタゴでした(写真)。黒ずんだ急な階段、黄ばんだふすま、部屋にTVの無いのもイイ、しかし清潔。便所は水洗トイレでした。出てきた婆さんが素敵な人、80歳は越していると思いますが、上品で話がうまく、おまけに地の山菜を使った料理が絶品、泊り客は私一人というのも嬉しい。私の最も心に残った一日でした。19.7km

費用 JR15,320 新聞140 茶131 おにぎり他470 お賽銭50 合計16,111

2007年3月 9日 (金)

歩く60 中山道22

File0123 File0124 21日目 4月5日 中津川→恵那  東海道新幹線を使って名古屋経由で中山道に入るのは足の便がいい。中津川に着いて 9:50から歩き始めました。今日の歩く予定はいつもの半分、理由は、恵那から先の中山道の旧道はJR線からも車の走る19号線からも離れていて、はっきりした地図が無い。御嵩に出るまでは旅館ホテルも全く無い。恵那までいってよく調べてから歩くことにしました。中津川から恵那までは分かり易い道でした。出て間もなく「桂小五郎隠れや跡」がありました(写真)。恵那の手前甚兵衛坂公園で「はなのき」の愛好家3人組みに会いました。この木の講釈を聞きましたが、春ピンクの花を咲かす背の高い木です。咲いている場所が限られていて、貴重なかえで科の木であることを教えられました。(写真後方の高い木がその木ですがピンクの花があるのですがよく見えない)春になると残っている木を調査して歩くそうです。お互いにスナップ写真を撮りあいましたが、後日資料を送ってきました。飯田の人たちでした。恵那の駅では旧中山道の地図や資料をもらってかえりました。自宅について17:30。 11.5km

費用 JR18,000 新聞140 朝食250 昼食880 土産530 合計19,800

2007年3月 8日 (木)

歩く59 中山道21

File0119 File0122 20日目 3月3日 馬籠→落合→中津川  朝、眼がさめたら外はうっすらと雪景色、そういえば昨夜食事の後外に出たら雪が舞っていました。朝の太陽がキラキラと雪を照らし眺めは最高!切手を買ったところのお婆さん(写真)も「こんな美しい景色は珍しい」と言っていました。たいした雪では無いので歩くのには困らない。落合の石畳の道(写真)は風情がありました。10時半には早くも中津川の駅に着いてしまいましたが、今日の2時間半の旅は今までで最高の眺めでした。昨夜泊まったところのすぐ近くでつい最近一家5人殺しの心中事件があったが、聞いてみてもなんだか分からない。また馬籠は島崎藤村の出身地で記念館もありますが、この3月から岐阜県に編入になったそうです。地元の人に聞いて見ましたが、特別の感慨もなく、免許証の書き換えが近くなって便利になった、とか言うて程度。この日は中津川から名古屋に出て帰りました。  9km

費用 宿泊9,300 雑誌300 土産600 昼1,080 新聞140 切手200 合計11,650

2007年3月 7日 (水)

歩く58 中山道⑳

File0121 File0118 19日目 平成17年目 3月2日 南木曽→妻籠→馬籠   前回の歩きから3ヶ月、年が変りました。南木曽の駅を12:15に出ました。今日は中山道のハイライト、妻籠、馬籠の観光ルートを歩くのです。ここは車の往来が激しい19号線から大きく外れた旧道ですが、細かく道標が立っています。妻籠の入り口近くの蕎麦やで昼食、とろろそばと1本の酒が旨い。オバサンにシャッターを押してもらいました(写真)。さすが観光地、昔の家並みが続きます。シーズンオフで人影はまばら。妻籠を過ぎて馬籠の峠に差し掛かる手前に男滝(写真)と女滝がありました。辺り一面雪、その昔吉川英治の小説「宮本武蔵」の舞台になったところです。馬籠峠の頂上で恵那山が見えます。木曽川の川沿いを歩くのと、山歩きでは景色が違い新鮮です。間もなく馬籠茶屋に着きました。坂の多い道でしたが楽しかった。食堂の夕食、酒は「七笑」でした。    14.2km

費用 JR14,170 新聞140 茶他490 昼1,400 合計16,200

2007年3月 6日 (火)

歩く57 中山道⑲

File0114 File0115 18日目 12月14日 倉本→野尻→南木曽  東京から木曾方面に行くのには列車の連絡が悪く倉本に着くのが昼近くなります。今日は快晴で風もない。新しい19号線は歩道がシッカリしていて歩きやすいが旧道の方は歩道も無く時々大型車がスピードを上げてくるので肝を冷やしました。標識や案内板が少なくて旧道がよく分からない。木曽川に沿って歩いて終始眺めがよく気持ちがいい。(写真)須原を過ぎたところに田舎には珍しい立派な料亭「本陣」がありここで昼食。寿司とビールと酒でかなりいい気持ちになったので、もう歩くのは止めようと思ったが、足の調子がいいので歩くことにします。朝足の裏にワセリンを塗ったのが良かったのかな。大桑、野尻(写真)、十二兼 この辺りから暗くなってきて南木曽の駅に着いた時にはすっかり陽は落ちていました。駅前の飲み屋で50分待って18:25の電車で帰りました。 自宅着23:00    20.4km

費用 JR9,900 新聞140 おにぎり120 軍手89 本陣2,000 飲み屋1,130 土産420 ビール250  合計14,049

2007年3月 5日 (月)

歩く56 中山道⑱

File0112 File0113 17日目 11月26日 木曽福島→寝覚ノ床→倉本  ここ木曽福島は霊山「御嶽山」の登り口になります。私が12歳の頃父に連れられて大滝口から御嶽山に登った記憶があります。なんでも私の生家の庭にある松(庭園にあるような太い幹が曲がった松で高さは10mくらい)が、木曽福島の誰とかが持ってきたものであるから、その家を探すとか、父が言っていたように記憶してますが、古いことで分かりません。この旅館の朝食は今時珍しく部屋まで持ってきてくれました。7:45出発。気温2度 桟(かけはし)を通ります(写真)。昔の道は崖から張り出していてこの名がついたとのこと かなりの難所であったと思います。間もなく上松の駅、寝覚ノ床で有名です。200円払って川に下りて少し歩いて「裏寝覚」も見物しました(写真)。紅葉が美しい。今日は須原まで行く予定でしたが寝覚ノ床で時間がかかり倉本でおしまいにしました。この駅もまわりに何もない無人駅でした。 自宅に帰って17:15             13.8km

費用 旅館14,505 電話160 新聞140 寝覚ノ床200 昼食610 ビール230 雑誌300  合計 16,145

2007年3月 4日 (日)

歩く55 中山道⑰

File0110 File0111 16日目 11月25日 薮原→木曽福島    東京から中央線で木曾街道にでるのには、塩尻の連絡が悪く歩き始まりが昼近くなります。今日も薮原の駅を出たのが11時10分でした。木曽川沿いの旧道は車が通る19号の幹線道路と所々重なっていますが、歩道がシッカリガードされているので歩くには不自由しません。右に木曽川、その奥に御嶽山、左の奥には中央アルプスがあり眺めが良く、昔登った山々が思い出されます。ここは木曾義仲の生誕の地でもあり,いたるところに義仲ゆかりの旧跡があります。義仲館に立ち寄りました(写真)朝日将軍源義仲も31歳で亡くなったとは、いかにも早死にだったんだな、と歴史の勉強になりました。一日中美しい自然に浸り3時半に木曽福島駅前の「つたや」旅館に到着しました。今日はここに泊まり。歩く距離も短く疲れませんでした。孫たちの土産を買い便りを書いて就寝。   14.4km

費用 JR9,680 新聞140 茶140 義仲館300 ラーメン550 土産2120 通信費・宅急便1470  合計14,400

2007年3月 3日 (土)

歩く54 中山道⑯

File0108 File0109 15日目 11月2日 奈良井→鳥井峠→薮原 前回は贄川まで着たが今回は一駅とばして奈良井から歩くことにしました。今日は鳥井峠を越さなければならない。この峠は熊が出る。明るいうちに歩くとしたら、贄川から歩いたのでは間に合わない、峠の上で暗くなる、で一駅とばして奈良井から歩くことにしました。ここ奈良井は古い家並みが残り観光の人も多く歩いています(写真)。すぐに峠に入ります。熊よけの鈴をつけて歩きました。中の茶屋は立て札だけ、峠の茶屋も人影がありません。所々に熊よけの鐘がぶらががっています「これを叩いて進んでください」。幸か不幸か熊は現れませんでした。この峠は低い。2時間一寸で薮原の駅に着いていまいました。歩いた距離は今日が最低。後になって思ったことですが、東海道を歩いても、中山道をここまで歩いても、話題になることが一つもない、ここで熊にでも出会えば話が面白くなるのに と。      7.5km

費用 JR9,240 新聞140 朝食260 駅弁他840 合計10,480

2007年3月 2日 (金)

歩く53 中山道⑮

File0105 File0107 14日目 10月25日 塩尻→贄川     9月から10月は台風が多くて予定が立たない。それに新潟に大きな地震があった。天候を気にしながら出発。塩尻駅前を9:35に出ました。間もなく細川幽斉の肘懸け松(貧弱な松です)を見て、洗馬駅前を通ります。木曾の谷は狭く19号線とJRと旧道がすぐ近くを並行して走っています。日出塩を過ぎると贄川に入ります。特に見るものも無く「これより南木曽路」の石碑がありました(写真)。贄川発13:29に乗れるようにひたすら歩きます。駅に着いたら13:20でやっと間に合いました。木曾谷を走る中央本線は列車の本数が少なく、一本乗り遅れると次は2時間以上待たされます。しかも駅は大半が無人駅(写真)駅員はおろか近くにはお店は一軒もありません。”乗り遅れたから次が来るまで一杯やるか”ということが出来ません。予め帰りの予定をシッカリ立てて歩かなければいけません。この日は塩尻乗換えあずさに乗って自宅には17:15でした。  15.1km

費用 JR9,450 新聞140 弁当260 帰りの車中840 週刊誌300 合計10,990

2007年3月 1日 (木)

歩く52 中山道⑭

File0103 File0104 13日目 平成16年9月8日 今年は異常な暑さが続いてとても歩く気にならない。9月に入って幾分涼しくなってきました。18号台風も去り、19号も消えたらしい。天候も落ち着いてきたので家を出ました。7時のあずさで上諏訪まで行き、豊橋行に乗って次の下諏訪で下ります。9時30分に歩き始め国道20号をまっすぐ,今井から塩尻峠に入ります。ここは前回の和田峠と違って旧道、草深い山道が見つからない。近くの人に聞いても分からない。仕方が無いから車の多い九十九折の道を歩きました。峠の頂上と思われるところが公園になっていました。諏訪湖が美しい(写真)。道が下りになったから、このあたりが頂上だと分かります。丁度昼でした。2kmほど行ったところで焼肉屋をみつけました。カルビー焼きを食べながらここのオヤジに聞いてやっと古い中仙道が分かりました。今来た道を少しもどって旧道に入ります。ヤハリ山道はいい。車は来ない、木陰は涼しい、鳥の鳴き声、草いきれ いい気分で塩尻まで下りました。途中 友達の経営する「アルプスワイン」の工場がありましたがそのまま通り過ぎて、昔の本陣跡 (写真)の前を通り 塩尻駅に着きました。この晩は私の生まれ故郷上諏訪の温泉宿に泊まりました。     18.9km

費用 JR8,400 JR400 新聞おにぎり390 昼食2,210 タクシー910 合計12,460

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